2008年04月09日
ヤギェウォ朝の文化
さてこの文化の中に何が起こっていたのでしょうか。
ヤギェウォ朝(ポーランド語:Dynastia Jagiellonów;ヤゲウォ朝、ヤゲロー朝とも)は、ポーランド王国の王朝。ピャスト朝、フランス王家カペー朝の流れを汲むアンジュー家に続く、ポーランドで3番目の王朝である。1386年から1572年まで7代続いた。
ピャスト朝最後の王、カジミェシュ3世には後を継ぐべき嫡男がおらず、後継者には彼の甥であるアンジュー家のハンガリー王ラヨシュ1世が選ばれて、ポーランド王ルドヴィクとして即位したが、1382年に没した。ルドヴィクの死後、王位を引き継いだ末娘ヤドヴィガは、1386年にリトアニア大公ヤギェウォ(リトアニア名ヨガイラ)と結婚し、ヤギェウォはキリスト教に改宗してヴワディスワフ2世となり、ヤギェウォ朝を開いた。
ヤギェウォ朝はポーランドとリトアニアの同君連合であるポーランド・リトアニア連合の君主として200年にわたってポーランドを統治し、リトアニア領とあわせて連合王国を東はウクライナ・ベラルーシから西は神聖ローマ帝国との境に接する大国に成長させた。またボヘミア、ハンガリーの王を兼ねる者もあらわれ、一時はヨーロッパ最大の王国として繁栄したが、1572年に断絶した。
ヤギェウォ朝の血筋は、リヴォニア戦争の最中、スウェーデン・ヴァーサ朝と婚姻関係を結ぶことで1668年まで命脈を保っている。このヴァーサ朝時代の初期までが、ポーランドの大国時代であったと言える。
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